オポノニのオポ

 ニュージーランドの北島の北方にあるホキアンガ・ハーバーの漁師たちが漁船に近づいてくるイルカに気づいたのは、1955年の初めごろのことでした。漁師が近づいてきたイルカの背をオールでなでてみると、イルカは嫌がらないで、おとなしくしていました。また、別の漁師がモップでそのイルカをなでると、イルカは逃げないで、されるままになっていました。

やがて、そのイルカは船のあとについてオポノニの波止場や砂浜に来るようになりました。人々はそのイルカを「オポノニ・ジャック」と呼ぶようになり、後に、短く「オポ」と呼ぶようになりました。オポは、ハンドウイルカのメスで、ほとんどおとなになりかかっていたと言われています。

 浜辺にきたオポは、次第に人と遊ぶようになりました。オポは大人とも遊びましたが、特に子供が好きで、子供を背中に乗せて泳ぐこともありました。オポは当時13歳だったジル・ベーカーが特にお気に入りで、ジルの姿が見えると、すぐにそばへ行きました。

 オポは人々とボール投げをしたり、ボールを沈めようとしたり、いつも自分で遊び方を工夫していました。また、犬と遊ぶことも、すごく好きでした。野生のイルカが人々との交流を求めて、浜にやってくるという話は、すぐに知られるようになり、多くの人々が小さなオポノニの町を訪れるようになりました。

 やがて、オポが船の後ろに近づきすぎて、回転しているスクリューに接触してけがをすることが起こりました。また、イルカのことを知らない男がサメと間違えてイルカに発砲するという事件もありました。こうしたことから、人々は、早急にオポを法的に保護する必要があると考えました。

 そして、ニュージーランド政府は、3日間という驚くべき早さで、オポの保護に関する法的手続きを完了して、ピロウラス・ジャックの時と同様に、総督名で、「オポだけでなくホキアンガ・ハーバーを訪れるすべてのイルカを殺したり、苦しめたりしてはならない」という法令を1956年3月8日に公表しました。

 どころが、その翌日の3月9日、オポが岩の割れ目にはさまって死んでいるのがみつかりました。満潮時に魚を追ってきて、浅瀬に入り込んでしまって出られなくなったのだろうということになりましたが、オポに反感を持っていた人がオポを殺したのだという人もいました。また、当時、漁師が爆薬を使って魚をとっていたことから、爆死したのだという人もいました。

 オポが死んだというニュースは、ニュージーランド国内と世界へ伝えられ、オポノニの町には
続々とお悔やみの電報がとどき、たくさんの人がオポの死を悲しみました。そして、オポノニの浜で、キリスト教によるオポのお葬式が行なわれました。

 人間と交流したオポについては、「海からの使者 イルカのオポ」、「海からきた使いーイルカのオポ」に詳しく出ています。(イルカのおすすめ本のページを参照。)

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